GWに約6年ぶりに実家 和歌山に帰ってきました。

和歌山には車で、宮城→山形→新潟→富山→石川→福井→滋賀→京都→大阪→和歌山の1府7県を経由し、約10時間で到着しました。

道中と帰省中に撮影した写真の中から少しですが、観光スポットや和歌山の名物についてご紹介したいと思います。

こちらは朝5時頃の琵琶湖です。この画像では向こう岸の山が見えていて琵琶湖のスケールの大きさが伝わりづらいですが、海の様な大きさでした。以前、世界の総人口(当時60億人位)が琵琶湖に立てるとTVで放送していたのを覚えています。確か電話ボックスに6人入るというのを基準にして計算していたと思います。話は変わりますが、実家で未使用のテレホンカードが50枚位出てきました…クオカードなら良かったのに…。

 

こちらはどこか分かりますか?京都の「清水寺」です。50年に一度の大改修中でした。私結構、こういうのにあたります。以前、何も調べずに東照宮に行った時も大改修中で「三猿」もレプリカでした…。改修中は滅多にみられない貴重なものと前向きに考える事にします…。有名なことわざに「清水の舞台から飛び降りる(=必死の覚悟をもって物事を実行する)」という言葉がありますが、1990年代に発見された清水の記録(清水寺成就院日記)によれば江戸時代中期の元禄7年(1694年)から江戸時代末期の元治元年(1864年)までに実際に清水の舞台から飛び降りた人の数は、未然に引き留められた者を含めて234件(年間平均1.6件)とされている様です。私が驚いたのは飛び降りた方の生存率で、なんと約85%だそうです!当時は、舞台の下が木々で多く茂っていて、地面も柔らかな土であった事が主な要因だそうです。飛び降りた方の男女比は7:3で最年少12歳から最高齢80歳代が、このビル4階(約12m)の高さから飛び降りた様ですが、10~20歳代が全体の73%を占めていて、生存率が90%との事です。60歳以上の飛び降りは全員亡くなっているそうです…。ちなみに飛び降りた理由は、大半が願掛けだった様です。

 

清水寺の話が少し長くなりすぎましたが、こちらは「和歌山城」です。和歌山は城跡ではなく、お城が建っています。現在の天守閣は、戦災後の昭和33年(1958)に再建されたもので、日本名城100選に選ばれています。和歌山城は暴れん坊将軍で有名な江戸幕府 8代将軍 徳川 吉宗が居たお城で、城内部には徳川家ゆかりの品が多数展示されています。

 

和歌山名物「和歌山らーめん(≒中華そば)」の超有名店「井出商店」です。

私が子供の頃は、行列もなく普通の中華そばのお店でしたが、1998年にTVチャンピオン(TV東京)で「日本一うまいラーメン決定戦」で日本一となってからは、行列が絶えないお店となり、雨の日の開店わずか1時間で既にこの行列です。和歌山らーめんの特徴は、「独特のとんこつしょうゆの香り」と「早寿司」です。カウンターには「山積みの早寿司」と「ゆで卵」が置かれていて、何個食べたかは会計時に自己申告します。私も久しぶりに食べましたが、早寿司との相性が抜群でとても懐かしくて美味しかったです。

最後は、18歳まで和歌山に住んでいる間、本当によく食べた和歌山ケンミンの味、玉林園の「グリーンソフト」です。アヒルのマークが目印の抹茶ソフトですが、程よいかたさで、一度食べればやみつきになる“あっさり味”です。めざましテレビのココ調コーナーでも放送され、グルメ部門1位を獲得したそうです。秘密のケンミンSHOWでも放送されて注文殺到になっているそうです。

 

以上、私の帰省中の一コマをご紹介させて頂きました。6年ぶりの帰省という事もあって、色々な場所が様変わりしていて少し寂しい部分もありましたが、やっぱり生まれ育った場所は良いなぁと感じたひとときでした。もし長く実家に戻っていないという方がいれば、時間もお金もかかる場合がありますが、久しぶりに、生まれ育った場所でのひとときのタイムトラベルで、若かった頃の自分と会話するのもまた、気持ちのリセットになって良いのではないでしょうか(^^)